2005年07月30日

第七夜

 それは雨の日の出来事でした。
 雨は朝から降っていたわけではなく、正午前から急に空が翳りだし、ランチタイムが終わる頃には土砂降りになっていました。
 そのとき私はちょうど外回りに出ていたのですが、生憎傘を持っておらず。慌てて手近なお店の軒先に飛び込みました。
 雨宿り先は中華料理店のようでしたが、定休日だったのか、シャッターが降りていました。見渡せる空間に人影はなく、大雨の中一人取り残されたように、私は立っていました。
 ふと気配を感じたので左を見ると、いつの間にかずぶ濡れの女性が立っていました。年頃や人相ははっきり覚えていません。ただ、肌の色が土のようだったことは印象に残っています。
 あなたも雨宿りですか。黙っているのも気まずいように思って、そう声をかけました。ええ、と短い答えが返ってきました。
 いやな雨ですね。空を眺めながらそう言葉を継ぎました。今度は返答がありません。
 無視しておいた方がよいのだろうか、そう思って横目で女性を盗み見ました。そして、驚きました。
 私の方から見えている女性の手首から先が、どろりと地面に溶け落ちたのです。
 頭の中が真っ白になりました。私が見ているこの光景は、いったい何だろう。雨音が私の中で反響しました。
 特異体質でして。雨に濡れると、身体が溶け出してしまうのです。
 そう言うと、女性は私の方に顔を向けました。女性の顔は、どろどろと蠢き、絶え間なく地面へとこぼれ落ちていました。
 私は悲鳴を上げ、豪雨の中へと飛び出しました。いや、悲鳴を上げたつもりでしたが、私の喉から出たのは、か細い摩擦音だけでした。
 気がつけば、家にいました。あれからどうなったのか。どこをどう走って家へ帰り着いたのか。まったく思い出せませんでした。
 私はその日、布団を頭までかぶって眠りに就きました。
 雨の上がった翌日。私は少し遠回りして、昨日の中華料理店へ足を伸ばしました。街は昨日とはうって変わって活気に溢れており、店の軒先には、当然雨宿りをしている者などおりません。
 ただ軒先の端、地面の一部に、何だか黄色い染みのようなものが、私には見受けられました。
 昨日の恐怖が不意に甦った私は、足早にその場を離れました。
 あれ以来、その女性と出会ったことはありません。あれは雨の中で見た、ただの幻だったのでしょうか。それともやはり現実だったのでしょうか。
 前者であればよいのですが。
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2005年07月22日

第六夜

 一年ほど前のことです。
 私はビル清掃の仕事に就いています。一つのビルだけでなく、地区内のあちこちのビルに派遣され、清掃日や一定期間だけ清掃に従事するというシステムで働いています。
 その日はとある高層ビルの点検清掃ということで、私は屋上の清掃を担当していました。
 屋上の床から給水タンク、非常階段の清掃が終わった頃には日が沈みかけ、辺りは薄暗くなりつつありました。
 日が暮れて暗くなる前に仕事が終えられてよかったと私は安堵しました。照明がない屋上の掃除は日の光だけが唯一の頼りです。特に暗闇における非常階段の清掃は墜落の危険がありますから、夜間や雨の日には絶対に行いません。
 私は道具を片付け、引き上げる準備をしていました。そのときです。
 私の後ろで、どすんと何かが落ちるような音がしました。
 何だろう、と私は思いました。この屋上に、動くものなど何もありません。あるとすれば私の持ってきた掃除道具くらいですが、道具はすべて回収したはずでした。
 何か忘れ物でもしていただろうかと、私は振り返って辺りを点検してみました。そして私はそこに、あり得ないものを見たのです。
 給水タンクの前辺り、屋上全体からいえばちょうど中央部辺りに、人が倒れていたのです。
 その人はスーツ姿で、大の字に寝そべっていました。性別は男性のようでした。ようでした、というのには。その人の顔は、まるで高いところから落ちて屋上の床に叩きつけられたかのように、ひしゃげて本来の半分くらいの大きさになっていたからです。側には砕けた眼鏡の破片が飛び散り、赤い血液が磨いたばかりの床に染みをつくりつつありました。
 私はあまりの驚きにしばらく動けませんでしたが、そのうち恐怖とともに感覚と思考が戻ってきました。私はモップを抱えたまま慌てて扉に飛びつき、汗で滑る掌を何とか動かしてノブを回し、階段を転げ落ちるようにして屋上から逃げ出しました。
 五分ほど経って、管理責任者と共に私は屋上に戻りました。そして責任者と一緒に中央部まで近づきました。
 しかしそこには、何もありませんでした。さっき私が確かに見た、あの墜落死体は跡形もなく消え去っていたのです。
 流れ出ていたはずの血液の跡も、ありませんでした。そこにはただ、磨かれた床だけがありました。
 ここに死体があったんだ。本当です。嘘じゃない。
 私は必死で訴えました。五十代くらいの管理責任者は、私の訴えを小さく頷きながら聞いていましたが、明らかに信じていない様子でした。
 結局何もわからぬまま、私はビルを辞しました。
 今でも私の脳裏には、あの光景が焼き付いています。死体に触れたわけではありませんでしたが、私にとってはあれは確かに現実に起こったことだったのです。死体がなぜ消えてしまったのか。私には今でもわかりません。
 もう一つ、後から気付いたことがあります。
 あのビルは地上数十階という高層ビルでした。そして周囲には、あのビルより高い建築物はなかったはずなのです。
 もしも彼がどこかからあの屋上に落ちてきたのだとすれば。彼はいったいどこから墜落したのでしょうか。
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2005年07月17日

第五夜

 確か小学生の頃だったと思います。
 祖母の住んでいた田舎に帰省し、一泊しました。
 この時期、帰省したときには必ず親戚連中が集まっていて、昼は墓参り、夜は宴会となるのが常でした。
 その晩もいつもと同じく宴会が始まり、幼い私は一人、別の間で床に就いていました。
 広間の方から聞こえてくるどんちゃん騒ぎを子守歌に、私は眠りに就こうとしていました。そのときです。
 広間とは逆の方向。広間よりもっと近いところで、甲高い音がしました。
 それは馬の嘶きのように、私には聞こえました。
 甲高い音がもう一度。確かに馬の嘶きです。そしてその鳴き声は、どうやら家の外すぐそばから聞こえるようなのです。
 この辺りではまだ馬を飼っている家があるんだ。子供心に、そう考えました。そして、明日になったら馬を見に行こうと思いました。
 翌日。目を醒ました私は、早速祖母に馬はどこにいるのか、と聞いてみました。祖母は目を丸くして驚きました。
 確かに昔はこの辺りでも馬を飼っておったけどね。いまじゃあ馬を飼っている家なんてどこにもないよ。
 祖母はそう、私に教えてくれました。
 何でも、この村で最後に飼われていた馬は、隣家に住んでいた将校さんの愛馬だそうです。その馬は、戦争の末期、将校さんと共に爆撃で亡くなったそうです。
 こういう時期だからね。お帰りになったんじゃないかねえ。私の体験を聞いた祖母はそう、しみじみと漏らしました。
 あれ以来、祖母の家で馬の嘶きを聞いたことはありません。私は、あれは祖母の言うとおり、仏様が帰ってきたのだろう。そしてそのことを誰かに知って欲しかったのに違いない。そう思っています。
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2005年07月15日

第四夜

 つい先日の話です。
 髪を切ろうと美容室に行きました。いつもお世話になっている、行きつけの美容室です。
 私の髪を切ってくれる人も決まっていて、その日もいつもと同じ、小柄な女の子が私の担当になりました。
 カットのイメージを伝えているうちに、前髪だけ部分パーマを当てたらどうかと薦められました。ちょうどイメージチェンジをしてみたい時期でもありましたので、薦めに乗って髪型を変えてみることにしました。
 言うまでもないことですが、美容室にはパーマ台という器具があります。温風の出るヒーターで上下左右を囲ったり、筒状のものを被せたりして、パーマ液の効果を促進させるのです。軽いパーマの場合は自然のカールだけで済むときもあるのですが、私の場合はパーマ台を用いての作業でした。
 女の子がパーマ台を牽いてきました。じゃあちょっと温風当てますね。そう言って、私の頭に器具をセットしはじめました。
 私は鏡越しに、一連の作業を眺めていました。そうしたら、奇妙なことが起きたのです。
 鏡に映っているパーマ台が、いつの間にか電気椅子に変わっていたんです。
 もちろん本物の電気椅子を見たことはありません。しかし私の頭に取り付けられようとしているそれは、間違いなく洋画などで見る電気椅子の器具に酷似していました。
 女の子は黙々と作業を進めていきます。左右を見ても、誰も驚いている様子はありません。私だけがその映像を見ているのか。それとも後ろにあるのは本当に電気椅子なのか。
 私は振り向きました。そこにあるのは、やはりパーマ台。女の子が怪訝そうな表情で私を見ていました。
 何でもないです。安堵を隠して、視線を鏡に戻しました。そして私は、悲鳴を上げました。
 鏡には変わらず電気椅子が映っており、今度は女の子の姿までもが、看守の制服に変化していたからです。
 私は器具と女の子を突き飛ばし、美容室のドアを押し開けると、カーラーと前掛けをつけた格好のまま、一目散に家へと走りました。
 翌日。さすがに悪いことをしたと反省した私は、カーラーと前掛け、それに菓子折を持って再び美容室へ向かいました。
 美容室はシャッターが降ろされていました。どうしたのかと思い、すぐ隣りの雑貨屋に尋ねてみました。
 何でも昨日、パーマ台の故障で客の一人が感電死して、業務停止になったそうだよ。雑貨屋の主人によるとそういうことだそうでした。
 それを聞いた私は、背筋が凍り付きました。故障していたパーマ台とは、きっと私に使われようとしていた、あのパーマ台に違いない。そう思いました。
 鏡に映った奇妙な光景。あれはこのことを教えようとしていたのでしょうか。
 映像の恐怖から逃げ出したことにより、私は命拾いをしました。感電死したというそのお客にも、私と同じような映像が見えていたのでしょうか。今となっては、わかりません。
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2005年07月14日

第三夜

 駅に向かって歩いているわたしの左耳に何か冷たいものが落ちてきました。
 見上げると、頭上に電線がありました。ついさっきまで雨が降っていたからでしょうか。電線を雨水が伝い、それが時折水滴となって、アスファルトの上へと落ちてきます。それがたまたま、通りがかったわたしの左耳に当たったようでした。
 運が悪かったということは言えますが、まあそれほど大したことではありませんので、手で耳についた水を拭うともう忘れてしまいました。
 そのことを思い出したのは自宅に帰り着いてからのことです。
 電車に乗っているときから、左側から奇妙なノイズが聞こえるな、とは思っていました。が、気にしなければどうということはない程度だったので、そのうち収まるだろうと思い放っておきました。
 ですが現実には、ノイズは収まるどころか音量を増し、静かなワンルームに帰り着いたときに、わたしはその左耳の異状に気付いたのです。
 夜は遅く、病院は軒並み閉院している時間です。緊急病院なら開いていると思いますが、ノイズが聞こえる以外は痛みも何もないので、とりあえず一日様子を見ようと思いました。一晩眠れば明日の朝には治っているかもしれない。そう思ったのです。
 ベッドに入り、目を閉じたとき。わたしはそのノイズがただのノイズではなく、どうやら人の声らしいことに気が付きました。
 耳をすませて、その声を聞き取ろうと試みてみました。
「……もしもし。Sさん?」
 聞き取れた話しぶりから、ああ、これは電話の話し声だと思いました。そして今日の帰宅時、左耳に電線から落ちてきた水滴を受けたことを思い出したのです。
 どうやらわたしの左耳は、電話線と混線してしまったようでした。どういった原理なのかはわかりません。ただ、何らかの理由でわたしの左耳に電話線を通るはずの話し声が聞こえるようになってしまっている。それは事実でした。
 最初は戸惑ったわたしでしたが、そのうちにこの状況を楽しむようになりました。いつまでこの状態が続くかわからない。明日の朝になったら、元に戻っているかもしれない。だったら今のこの状況を楽しもう。そう思ったのです。
 聞こえてくる会話は、どうやら脅迫電話のようでした。ボイスチェンジャーを通したような甲高い男の声が、怯えた声の女性に何かを要求しているようでした。回線の状態が悪いのか、話がブツブツ切れて聞き取りにくく、詳しい内容はわかりませんでした。
 何とか聞き取ろうと、一段と耳をすませたときでした。
「……を殺すんだ」
 そんな言葉が、はっきりと聞こえたのです。
 わたしはベッドから飛び起きました。大変な会話を聞いてしまった。そう思いました。
 深い考えもなく、そばにあった携帯電話を取り上げました。そして即座に一一〇番しました。もちろんこんなこと、警察に話したところで信じてもらえるはずはありません。ですがそのときのわたしは、そこまでは考えていなかったのです。
 呼び出し音が二回鳴ったあと、電話が繋がりました。わたしは電話を右耳に押しつけました。
「もしもし、警察ですか? 実は今さっき……」
「貴様、聞いていたな?」
 電話口から聞こえてきたのは、ボイスチェンジャーを通したような奇妙な男の声でした。
 それからあとのことは、よく覚えていません。
 あのときからわたしはずっと、この部屋に閉じこもっています。左耳からは絶え間なく、「殺してやる」という甲高い男の声が聞こえてきます。
 声は時間が経つにつれ大きくなります。部屋の外からドンドンと扉を叩く音が聞こえます。
 わたしは、いったいどうすればいいのでしょうか……。
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2005年07月12日

第二夜

 それを見たのは最終電車の中でした。
 その日も残業で遅くなりまして。オフィスを抜け出したのは終電に間に合うかどうかという時間でした。
 そんな状況でしたから、何も考えず、やって来た車両に飛び乗りました。
 おかしいと思ったのは、扉が閉まり、列車が動き始めてからでした。
 知らない方は意外に思うかもしれませんが、終電って結構混み合っているものなんです。これを逃すと、次の電車はないわけですからね。多くの人が、例えば私のように仕事を切り上げて、何とかこの電車に乗ろうと駆けつけてくるわけです。
 なのに見渡してみれば、車輌は私の貸し切り状態。しかも、よくよく目を凝らせば、蛍のようなものが時折明滅しながら辺りを飛び回っている。
 こりゃあまずい。そう思いました。何だか現実とは違う世界に迷い込んだと、直感的に気付いたんです。
 次に列車が停まったら降りよう。そう決めて、とりあえずシートに腰を下ろしました。
 窓の外を景色が流れていきました。暗かったのでよくわかりませんが、その景色も、いつもの車窓から見える景色とは何だか違っているような気がしました。
 しばらくすると、車両の後部ドアが開きました。見ると、連結部を通って制服に身を包んだ車掌が入ってきました。自分以外にも人間がいた。そう思った私は少し安心しました。
 車掌はゆっくり私に近づいてきました。私が喜びのあまり声をかけようとしたそのとき。車掌が先に口を開きました。
「乗車券を拝見」
 背筋が冷たくなる声でした。外見だけを見れば、普通の人間。ですが、身に纏ってるオーラというか雰囲気が、やっぱり普通の人間とは違っていました。
 最終電車で改札というのもおかしなことです。酔っぱらいや眠りこけている者が多い終電で、改札が行われることはまずありません。
 私は恐怖で硬直した身体を無理矢理動かし、定期券を取り出しました。
 車掌はしばらくそれを眺めていました。
「あんた、生身だね」
 とっさのことで何のことかわかりませんでしたが、生身には違いなかったので私は頷きました。
「次の駅で降りてください。今度は、ちゃんと死んでから乗ってくださいよ」
 定期券を私に返し、それだけ言うと、車掌は次の車輌へと去っていきました。
 電車がスピードを落としました。どうやら駅に着いたようでした。
 私はシートから立ち上がり、ドアが開くと同時に外へ飛び出しました。地面と、それから次に辺りを見回しました。街灯に照らし出されたそこは、いつもの見慣れた駅でした。
 振り向くと、列車は影も形もありませんでした。
 あれはいったい何だったのだろうか。私は今でも考えます。車掌の言葉から予想するなら、あれは死者の乗る特別列車だったのでしょう。そしてその列車に、私は間違えて乗り込んでしまったのでしょう。
 いやそれ以前に、私が体験したことは本当にあったことなのかどうか。残業で疲れ果てた私が、ただ夢を見ていただけではないのか。
 真実は、わかりません。ただ一つ確かなことは、あの日までまだ黒さを保っていた私の頭髪は、一日で灰色に変化してしまったということです。
 それでもまあ、もしあれが本当にあったことだったとしたら。白髪が増えるくらいで済んだのなら安いものだったと思います。
 だって私は今でもこうして、生きてここにいられるんですから。
 ねえ。
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2005年07月11日

第一夜

 これは友人から聞いた話なんですけど。
 S県とM県の境にトンネルがあるんですよ。長さ七〇〇メートルくらいの、地元では結構有名なトンネルでしてね。二十年ほど前に山の中腹辺りをくり抜いてつくられたんですが、ここを通ればS県から最短距離でM県の中央街に出られるってんで、結構重宝されてるんですよ。
 ところがですね。日中はかなり通行量の多い場所なんですが、真夜中になると、ぱったりとだれも寄りつかなくなるんですよ。
 それはなぜかと言いますと。このトンネル、地元では「人食いトンネル」って呼ばれているんですよ。日が出ているうちはいいんですけどね。深夜になると、トンネルに入り込んだ人間を食べてしまうっていう。
 何でも、このトンネルは交通量に比例して事故も結構多くて、死亡者もたくさん出ているんですけど。県境ということもあって、事後処理が曖昧のまま終了してしまうことが多いんですよ。ほら、S県警とM県警って仲悪いですから。それで、その被害者たちの怨念が成仏できずにあのトンネルに留まり、自分たちの仲間を増やそうと通りがかる者たちを取り込んでいるのだ、と。そう噂されています。
 ここからが本題なんですけど。そのトンネルに、私の友人が肝試しに行ったそうなんですよ。友人の彼女がそういうのが好きだそうでして、半分無理矢理のような感じで、深夜二時頃に愛車に乗って行ってきたそうです。
 入る前から嫌な予感はしていたそうです。見た目は普通の、ちょっと薄暗いトンネルだそうなんですけどね。月明かりに照らされてぼうっと、青白く輝いて見えたそうなんです。いや、そういう先入観を持って見たせいかもしれませんが。
 友人たちは勇気を出して入ってみたそうです。最初のうちは何の変哲もない、ただのトンネルだったそうです。
 異変に気付いたのはしばらく経ってからのことでした。トンネルの長さは七〇〇メートル。一分も車を走らせれば抜けてしまうはずでした。なのに二分経っても、三分経っても出口が見えてこない。
 おかしいと思った友人は車を停めて辺りを見渡したそうです。そうしたらいつの間にか周囲は真っ暗、入り口も出口も見当たらない闇の中にいたそうです。試しにUターンして入り口に戻ってみたのですが、やっぱり入り口が見えてこない。もちろん車一台通りかかりません。
 このときにやっと、大変なことになってしまったと気付いたそうです。
 彼女も妙なことに気がついたのか、騒ぎはじめました。友人は落ち着くよう諭したのですが、こうなるともう止まりません。パニック状態を引き起こし、泣くわ喚くわ。最終的にはどちらが悪いという言い争いになり、彼女は車を降りて一人、闇の中へ飛び出していってしまったそうです。
 車の中に一人になった友人は、車の中で項垂れていました。いったいどうすればいいのか、わからなくなったそうです。彼女を追いかけることも考えたそうですが、この闇の中で一度車のそばを離れると二度と戻って来られない気がして、どうしても車から出ることができなかったそうです。
 友人はしばらくそうしていました。が、そのうちに、周囲に異変が起こっていることに気付きました。友人は車のライトをつけっぱなしにしていたそうなのですが、どうもその、光源の届く範囲が狭くなっている。そして心なしか、気温が低下しているような気がしたのです。
 友人は試しにライトをハイビームにしてみました。が、光はやはり先ほどまでと同じ距離までしか届かなかったのです。
 背筋が凍り付いたような気がした。友人はそう言っていました。
 そのとき。遠くからか細い女の悲鳴が聞こえたそうです。それが限界を告げる合図でした。友人は車のエンジンをかけ、走り出しました。前も後ろもわからず、ただただ、車を走らせ続けました。
 気がついたとき、友人の車はM県側のトンネルの出入り口付近、道から外れた草むらに停まっていたそうです。時計を見ると、朝の七時だったということだそうですから、ちょうど五時間くらい経過した計算になるんでしょうか。
 最初は夢を見たのか、と思ったそうです。そりゃそうですよね。私だってそういう状況になったら、ただ自分が眠って夢を見てしまっただけだと思います。
 けれども夢だとしたらたった一つ、おかしなことがあったんですよ。
 それは、助手席に載せていたはずの彼女が、いつの間にかいなくなっていたということなんです。
 先に帰ったのかと思い電話をかけてみたそうですが、電話は繋がらず、また家にも帰っていないことがわかりました。現在もまだ彼女の捜索は続けられていますが、行方はまったく掴めないままだということです。
posted by 茶林小一 at 00:38| Comment(0) | TrackBack(0) | 夏の夜の怖い話